推し活自分語り

推し活記録と心の整理

喜ばれたい、を善意の行動のゴールにすると危ないという話

自分の戒めのために書く。

誰かのためを思って何かをしても、相手が自分の望んだ受け取り方をするかどうかは分からない。

迷惑になる可能性もある。

自分にとって、誰かのための善意は基本的に自己満足で、行動した時点で完結するもの。

反応を気にしないほうが健全でいられる。

期待しないほうがいいし、やったことに対しては自分を責めるのもやめたほうがいい、ただ今後の指針にすればいい。

 

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善意のつもりで無償で物をあげる申し出をしたら丁重にお断りされた話

こんなことがあったので書いておく。

私はとあるグループが好きで、グッズを買ったりもしていて。

最近珍しくランダムのグッズを買って、同じグッズが沢山出た。

Twitterで同じグループを好きな人が、私が重複したグッズが出なかったとツイートしていた。

 

なので、もし良かったら私が重複した分を無償で差し上げますよとDMで連絡してみた。

そしたら、喜んではもらえたけど、逆に気を遣わせてしまって、無料で貰うことはできないので買い取らせてくださいという話にになった。

今後同じ現場に行く機会もあるから、手渡しできればとも思っていたけど、それはちょっと苦手ということで、郵送することになった。

 

重複分が欲しい人に渡ることになったのは良かったけど、確かに自分が同じ立場だったら、無料であげますと言われても抵抗を感じるよなと思ってちょっと反省した。

 

あと、その相互フォロワーさんに密かに好感を持っていて、この人なら無償であげたいなと思ったし、渡すのを機に挨拶でもできたらなと心の中では思っていたので、郵送を提案されたことに少しだけさみしさも感じたりもした。

その人は他にフォロワーも沢山いて、仲の良い人もいる感じなんだけど、私は親しいわけでもないし直接会うのはちょっとって感じなんだと分かってしまって、正直少しショックを感じてしまったり。

振り返って、私の普段のツイートうざいかなと思ったり。

(その人とTwitter上でいつも絡んでいるわけじゃない)

 

まあ、自分の行動振り返ると、いきなりそんな親しくない関係でDMして、そりゃびっくりするし気を遣わせるよなと思った。

 

でも、郵送でって提案してもらえて良かったなとは思っている。

本当は抵抗あるのに、無理に会ってもらう状況にならなくて良かった。

私のことを特別嫌いなわけではないけど、なんか変に恩を感じたり、今後も会場で会って話をするのは面倒だから基本的にはやりたくないという人かもしれないし。

このへんは、考えても私はその人の本心は見えないので、分からない。

 

全然気にせず断っていただいて構わないですよ、という断りもいれて連絡して、譲ってほしいです、でも有償でお願いしますって申し出をいただいて話がまとまったから、それで完結で良いかな。

教訓:誰かに対して、本来金銭がかかるものを無償であげる・する申し出は、余程親しい、近しい間柄でないと気を遣わせてしまうのでやめておこう(自分もされたら気を遣うでしょ?)

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善意=喜ばれるとは限らない

私が折角だから、と思って誰かに何かをするのは、その人にとって余計なお世話だとか、本当は嫌だけど善意でしてもらってることだから無碍にできないと思われてる可能性もある、と頭に置いておかないとなと思ってる。

 

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善意を受けた側で、実は嬉しいより負担の方が大きいという経験

私がもらう側の体験を話すと、2-3か月に1回くらい、義母様から野菜や手作りのものを宅配で送られたりするんだけど、正直、負担だなと心苦しく感じていたりもする。

別にお金はいらないとは言われるけど、いつか何かの形で感謝を表さないといけないかと思うと正直、別に送ってくれなくていいよ、、、という気持ち。

自分のペースで食材を買いたいし(申し訳ない)

毎回、手書きのお手紙も同封されていて、気持ちは嬉しいけど返さなきゃならないかなと思って、別にいいのにと思ってたりもする。

(孝行できない嫁で申し訳ない)

 

心を許していない相手からの善意って気持ちはありがたいけど気を遣って疲れるのかもしれない。

DMを送って提供を持ちかけた人も、いきなり言われて困惑もあっただろうな。

でも行動は取り返せないので、今回は私の行動を受けてもらったことに感謝しよう。

今後は距離感を保っていよう。

良い経験にはなったかな?

 

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推し活でも、自分が推しさんを思って、喜んでもらえたらなと期待してやることは、必ずしも相手に喜ばれるとは限らない。

推し活でも当てはまると思ったので、戒めのために書いておく。

 

ファンの好意を無碍にできないから、ファン全体に対してありがとうと感謝は伝えてくれるかもしれないけど。

 

実は今も、推しさんにファンメールを定期的に送り続けていて、去年初めて送ってから、最近40通を超えた。(メールがメイン、手紙を含めた回数)

ファンメールの内容は、曲とかライブの感想がメインで、参考になるなら、もし喜んでもらえるならと送っている。 

だけど、本当は押し付けがましいんじゃないか、毎回送ってしまって困惑されているんじゃないかと怖い。

喜んでほしいと思いながら送るから、文章を考えるのもめちゃくちゃ考えるし時間がかかってしまう。

その分、喜んでほしいな、と期待してしまう自分が怖い、、、本当は、声が届くだけでじゅうぶんなはずなのに。

 

ささやかな差し入れと一緒にファンレターをプレゼントボックスに預けたこともあるけど、いらないもの贈ってしまわなかったのか気になってしんどくなったので、いまは手紙や差し入れはやめて、ファンメールだけにしている。

推しさんにとって必要か分からない贈り物をするより、物販でお金を使うほうが推しさんにとって良いのではないか?と思って。

プレゼントなしの手紙はなんか悪い気がするし、プレゼントも無しなのにメールという手段もあるのに敢えて手紙っていうのは、単に自己顕示欲じゃないのか?と思ってしまって手紙は出せなくなった。

プレゼントを選ぶセンスは皆無だし。

 

でも、感想とか感謝は伝えたい。

いつもメッセージで元気をくれる人、みたいにポジティブな意味で記憶に残ったら嬉しいと思ってしまってる。

 

結果として、一か月に4〜6回くらい、平均すると1回1000字前後のファンメールを継続して送っている。

また同じ人から来た別にもう良いよって思われてるかもしれない、と考えるとつらくなる。

本来一方通行で良いはずなのに。

 

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本心で喜んでもらえるかなんて、こちらには絶対に分からない

だから、自分が良かれと思ってやったことは、その時点で満足して完結させるべきなんだ。

最高の作品を届けてもらって、感想のメールを送って、また最高の作品を届けてもらったらじゅうぶん。

相手に喜んでもらいたい、と本心では願っているけど、喜びを何らかの形に表してほしい、になってはいけない、と戒め。

 

いつか、迷惑でないことだけでも分かればいいなって思いつつ、絶対に気を遣わせたくないから対面ではメールや手紙を出してることは今後も言えないな、と思っている。